ASLAN COFFEE FACTORY
研究者から、”職人(焙煎士)”の道へ。
探究心が導く、コーヒーの深淵。
喫茶店文化が強く根付く街 北九州小倉。
この街でスペシャルティコーヒーを掲げ、新たなコーヒーの文化を発信する「ASLAN COFFEE FACTORY」。
北九州の地から全国にクラフトマンシップを届ける同社の創業者 柳生さんに話を伺った。※文中敬称略
日々の生活の中に小さな幸せがあるということを感じてほしい
Aslan Coffee Factoryのオーナー柳生は、日々のルーティンの中に小さな幸せを感じるという。
「幸せの尺度は人によって違うので、その人の物差しでしかないのですが、私はお店を通して誰かの小さな幸せを提供したと考えています。誰かにとっての小さな幸せのためにどんなコーヒー作れるかを日々追求しています。これも元々マイノリティの人々に興味があった、研究者時代の名残なのかもしれませんね。」
オーナー柳生の出身地は北九州市小倉。
大学卒業後は修士過程へ進み、その後も研究者の道を志し大学教授を目指した。
柳生の専攻は都市社会学。マイノリティの研究に没頭しており、中でも特に日本在住のイスラム教徒に関する研究に情熱を注いでいた。
「昔から社会の大多数に属さない、マイノリティの人たちの意見に興味があり、この分野を学んでいました。マイノリティな人たちは、日々の社会では妨げられることが多く、日々の小さな幸せが彼らの人生を豊かにしているということをこの頃学びました。」
お店作りの根底にあるこの”小さな幸せ"という価値観も、当時の研究が影響している。
焙煎士という名の”職人”へ。無給で学び続けた本物の技術。
学問を通して自分の人生に方向が見つかった。そうして、彼は焙煎士という名の”職人”を志すことになる。
「当時は福岡県の糸島で塩を手作りする職人や鹿児島の切子職人になろうかと考えたこともありました。そんな中で、とあるコーヒー焙煎教室に参加したときに、衝撃的な出会いがありました。その時コーヒーの焙煎を教えてくれた、師匠の人柄と感覚的なアプローチに魅了され、焙煎士という職人の世界へと足を踏み入れることになりました。」
そうして師匠の元でコーヒーを学び初めた柳生。
あくまで、自分は無理を言って入社させてもらった弟子であるという意識から、修行期間中は柳生から直談判して給料は受け取らずに過ごした。
「いつ切られるかも分からなかったので、毎朝師匠や他のスタッフの方が出社する前に、3台あった焙煎機のダクト掃除を済ませていました。それをしばらく続けていると、初めて焙煎を教えてもらって、一部のラインナップの焙煎をさせていただけることになりました。とはいえ、ずべて自分が頼み込んで修行させてもらっていたので、給料はもらっていなかったです。」
とはいえ生活費がないと生きていけないため、彼は16時半まで焙煎所で働き、その後夕方から深夜0時までは近くのタリーズでアルバイトして生計を立て焙煎の修行に打ち込んでいた。
背中を押してもらった、修行生活の最後
広島の師匠の下での修行生活を3年半ほど続けていた頃、突然「独立しろ」といわれたのがASLAN COFFEE FACTORY誕生のきっかけだった。
柳生本人はあと5−6年は修行期間に充てようと考えていたが、当時の師匠が柳生はいつまでも店に居続けると考えたのか、独立の提案を頂いた。
「元々大学教授を目指していたくらいなので、知らないことを学ぶことは楽しいと思うタイプ。師匠の下でもっと色々なことを学びたいと思っていました。学ぶことで、一人で満足できるタイプなので修行期間も知識を得ることは楽しいと感じていました。」
そうして、地元北九州で自分のお店を立ち上げることになるのである。
「今思うと追い出されたというより、背中を押してもらったとのほうが正しいですね。」
気軽に聞いてほしい
「コーヒーに初心者という言葉は無いと思います。もしあるとしたら、私達ロースターも初心者。常にわからないことがあり、それを楽しいと思っているので、コーヒーは深海みたいなものだと思います。」
コーヒーの魅力は、底が知れないことだと語る柳生。
「毎年新しい情報が刷新されるコーヒー業界で上級者も初級者も、コーヒーというの深い海の中では、どんぐりの背比べぐらいしかないと思います。 それぐらいコーヒーは底知れないと私は思っているので、気にせずなんでも聞いてほしいと思っています。知らない時が1番楽しいはずなので、私にとっては羨ましいなと思います。知らないということを楽しんでほしい。気になることは私に何でも聞いてほしいと思っています。」
コーヒーへの飽くなき探求心をもつき北九州 小倉のASLAN COFFEE FACTORYのコーヒーを、是非ご自宅で楽しんでみてはいかがだろうか。
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